「日本辺境論」 新潮新書 内田樹

 

概要

丸山真男は日本人を「きょろきょろとして新しいものを外なる世界に求める」と表現した。これは本当の文化は他のところで作られていて自分たちはどこか劣っているという意識に取りつかれているからであり、これこそが辺境人としての日本人の性格であると筆者は語る。では何が辺境人としての日本人を作り出すのか、そしてこのような辺境性は日本人の何に影響を与えているのか。この本では武士道や機の思想、日本語の特色に焦点を与え解説している。

 

要約、その他雑記

 

我々は辺境人でありそれは国家、個人レベルで染みついていると筆者は語る。

 

漢や隋、唐時代においては華夷思想(中国こそが世界の中心であり周辺国は自らより劣ったものであるという思想)が確立され、それに基づき冊封体制が作られた。そこでは日本はもちろん、朝鮮、モンゴル、東南アジアなどの周辺地域は朝貢国とみなされ、中華皇帝に対して臣下の礼をとることで官位を与えられた。

 このような辺境人としての日本人は文化は他のところから生み出され、自分たちはどこか劣っているという意識を持つ、そして、常にきょろきょろし新しいものを探し、何かを語る時は常に他国との比較という形をとる。つまり、外部に正しさを保証する存在がいると考えるのである。

 

筆者はオバマ大統領就任を受けての総理大臣のコメントを例にとりこの問題を具体的に論じている。

 

オバマ大統領の就任演説の感想を求められた際、内閣総理大臣は「世界一位と二位の経済大国が協力していくことが必要だ」というコメントを出したが、筆者はこれこそが辺境人の日本人的発想であるとする。

日本が世界においてどのような国であるか語る時、総理大臣は経済ランキングを引き出し、他国との比較をしていた。つまり、他国との比較を通してしか自らの国家像を描けないと筆者は主張する。

#筆者はこのような日本人の辺境性を批判するつもりは無く、寧ろこの辺境性をとことん突き詰めていくべきと語っているのだが、国際関係、日米同盟などにおいて他国のビジョンを参照し自国のビジョンを決定することに筆者が批判的であることは拭えない。

果たして、国際関係においてこのよう他国の比較を通して自らの国家戦略を語ることは辺境人独特のものであり、また批判されるべきことであるのか。

国際社会は複数の国、地域が作りだすものであり、そこでは自国の国益を守るために世界の潮流を読み取り、その状況に合わせた国家、同盟関係を構築することが不可欠である。

このような世界では他国の戦略を知り、いわば後出しじゃんけんのように自国の国家戦略を変えることはしばしば起こることであり、これは何も日本のような辺境性を持った国だけではなく、米、露、中などの大国、中心国においても当てはまるだろう。#

 

ところで、このように辺境にいる私達が発展していくためには一粒も無駄にすることなく外来の制度、文化を受け入れる必要があり、その際、最大限の開放性を持つことが望ましい。

実はこの学問への開放性は日本の武士道精神によって生み出されると筆者は語る。

というのも、新渡戸稲造によると努力と報酬の間に相関があると予見されることは武士道に反し(師弟関係にある修行において、何のためか分からないけど何か意味があるだろうと無理やり思い込み、あえて意味を問わないなどといったことはこの精神の影響とも言えるだろう)、さらには師弟関係において弟子は自らの師が適切かどうかは問わない。

師は何か意味があるからこの修行をさせているわけであり、私はなぜ、そして何を学ぶかを理解できていない、だからこそ私は学ぶべきであると日本人は考え、これが知的開放性につながるのである。

 

しかしながら、全てのものを受け入れれば良いというわけではなく、受け入れることによって我々の社会を損失するものもある。では、我々がどのように受け入れるどうかの判断をしていかというと、これを学ぶことが生きる上で死活的に需要な役割を果たすだろうと先駆的に確信していると言う。

つまり、意味や有用性はよく分からないけどそれが人生において必要であると本能的に確信しているのである。

筆者は、これをレヴィ=ストロースが「悲しき熱帯」で挙げたブリコルールを例に述べている。ブリコルールとはありあわせのもので生活する野生の人々であり、手持ちの手段で生活をやりくりする。彼らが野生生活で何かを集めるときはその際にこれは何か役に立つと本能的に確信しているからである。この能力は資源の乏しい環境の人々にしか身に付けられないものである。辺境としての日本はこのような本能を身に付けることで知への開放性を生み出したのだ。

 

「日本人はなぜ無宗教なのか」 (ちくま新書) 阿満 利麿

概要

日本人は無宗教であると言われるがはたしてそれは本当だろうか。筆者は宗教をキリスト教イスラム教などの「創唱宗教」と自然発生的で先祖を敬うなどの「自然宗教」に分け、日本人が無宗教という時の宗教はあくまで「創唱宗教」であるとする。では、なぜ日本で「創唱宗教」が根付かず「自然宗教」が発展していったのか。本書ではその背景を日本の歴史や民俗学を通して解明していく。

 

要約、その他雑記

 

日本人は無宗教であるという時の宗教とはあくまで「創唱宗教」である。

このような宗教は特定の人物がある教義を唱えるといったものでキリスト教イスラム教が例に挙げられる。

 

この点に関してはたしかに日本人は無宗教であると言えるかもしれない。

例えば、キリスト教徒に関しては日本人口の約1%のみが信じており(宗教年鑑平成27年度版のデータより)、これは世界人口の約3割と比べてみてもかなり低い数字と言える。

 

では、なぜ日本でこのような「創唱宗教」が広まらなかったのか。

本書では様々な理由が挙げられているがここではそのうちの一つを紹介してみる。

 

日本人の精神を根底で支えているものの考え方のひとつとしてムラの精神が挙げられるだろう。

 

筆者はムラとは昔から人々がひとまとまりになって暮らしてきた生活単位であるとし、行政のためにつくられた村とは異なるとする。

 

明治時代にはこのようなムラは7万ほど存在していたのだが、このような生活集団にとって最も大事なことは何かにつけて(物質的にだけでなく感情的にも)一つにまとまるということであった。

おそらくこうした小さなムラではそれぞれが自分の主張を繰り返しているとあっという間にバラバラになってしまうのでこのようなまとまりを作る必要があったのだろう。

 

そこでは村共有の雑木林などの均等分配はもちろんのこと、誰かが幸福であるなら誰かが影口を言い、誰かの悲しみや不幸を誰かが喜ぶという感情の均質化まで行われていたという。

#日本人の出る杭は打たれるという特徴も、もちろんこのムラ思想から由来しているだろう。

 

悪はもちろんのこと大きすぎる善までもがムラの秩序を乱すものとしてみなされるこのような社会では宗教もムラを超えない範囲でしか認められないということになる。

 

つまり、日本人はあらゆるところで平凡思考なのであり、キリスト教のような強い超越性を持つ神はムラという社会で受け入れられず、神も日常生活に留まるものに限定されたのである。

 

そこで日本人に受け入れられたのが「自然宗教」であり、具体的には先祖を大切にし敬うとともにムラの鎮守への敬虔な信仰を行うことである。

お盆や初詣といった行事も「自然宗教」信仰の一環と言えるだろう。

 

ところでなぜ日本人はこうした「自然宗教」を信じているのにも関わらず自らを無宗教であると称するのか。詳細は本書で詳しく書かれているので是非一読を!!

 

 

 

「何者」 新潮文庫 浅井リョウ

 

たまには娯楽小説も紹介していきたいと思います笑

 

今回は朝井リョウさんの「何者」

映画化されたのでご存知の方も多いのではないのでしょうか。

 

本作では主人公の拓人とその同居人の光太郎、光太郎の元カノの瑞月、さらには理香とその彼氏で同居人の隆良の5人の就職活動が中心に描かれるのだが、大学生ならではの恋愛、そして、就職活動という一大転機に揺さぶれる若者のプライド、さらには就活を通して荒れる友情関係などが巧みに描かれており非常に心に染みる作品です。就職活動を通して自分が何者でもないことを直面せざるをえない若者の苦悩に非常に感情移入してしまいます。

この作品の恐ろしいところはこれらが本当に怒りそうなこと笑

 

映画で見た方も個人的には本のほうがおすすめなので是非手にとってみてください!!

 

問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 「文芸新書」 エマニュエル・トッド

要約

世界中でネイション回帰が進んでいる。特にグローバル化を推し進めてきた英米においてこの現象が顕著であり、米国ではトランプ大統領の誕生、英国においては国民投票でEU脱退が決定した。なぜ世界はグローバル化に疲れ、ネイション回帰へ向かっているのか。そして、英国のEU脱退は世界に何を引き起こすのか。ソ連崩壊やアラブの春を予言した著者による代表的著作。

 

概要、その他雑記

 

世界各国がグローバリゼーションに苦しめられる中、英国のEU離脱国民投票で可決された。

 

では、英国がEUを離脱した後、ヨーロッパ社会では何が起こるだろうか。

 

筆者はドイツによるEU支配が進むと言う

というのも、現在ドイツは徹底的な自由貿易主義、移民をベースとした豊富な労働力により圧倒的な経済力を保っているからである。

 

しかしドイツによるこのEU支配が長期に渡って続くかには疑問を投げかけている。

理由としてはドイツの出生率低下、また、それが付随的に引き起こす移民受け入れによる問題が挙げられる。

 

ドイツは先進国中で日本と並んでトップレベルに出生率が低く、この後、人口不足に悩まされることは間違いないだろう。

そこでドイツが行うのが移民の確保である。移民を受け入れることで出生率低下による労働力不足をカバーすると聞けば一見理にかなっているようにも聞こえるが、そこには移民が社会に適合できるかという危険性も含まれる。

 

実際、現在ドイツがトルコから受け入れている移民はロシアやギリシャからの移民に比べて社会にうまく適合できていないと筆者は語る。

理由としてはいくつか考えられるが一つにはトルコの結婚、家族制度にある。

というのもトルコ人は内婚(いとこ同士の結婚)を認めるため比較的集団として閉じた社会を形成する可能性があるからである。

 

さらには、メルケルが受け入れを検討しているシリア難民は内婚率が35パーセントほどであり、より閉じた社会を作り上げる可能性もあるだろう。

 

そのような閉じだ集団が増加していった時、国家のまとまりは失われていくかもしれない。そして、このような危険性を持つドイツがもはやEUの支配者でなくなった時、再びヨーロッパに無秩序が訪れることも否定はできない。

#筆者は移民の受け入れを否定しているわけではなく、経済発展のためにやみくもに受け入れることに懐疑的である。

ところで、日本でも労働力不足の是正のためにも移民を受け入れるべきだと言う意見もあるがどうだろうか。

たしかに文化、生活様式が比較的に通ったアジア圏、特に中国、韓国からは受け入れても良いかもしれない。むしろもっと受け入れるべきかもしれない。しかし、これが中東、アフリカからの移民だと社会への適合という意味では厳しいかもしれない。

倫理的、経済的に合理、論理的であることが必ずしも社会の繁栄のためによいものとは限らないだろう。

 

もし移民の受け入れが労働力不足を補うためだけであるならば、日本の強みであるテクノロジーを生かしロボットなどによる自動化を進め、労働力不足を補うほうが良いかもしれない。

 

 

 

戦争が平和を平和が戦争をもたらす。 戦争にチャンスを与えよ 「文芸新書」 エドワード・ルトワック

要約、その他雑記

 

非戦争当事国やNGO国連などによる介入が戦争を長引かせると筆者は言う。

 

本書ではまずルワンダ紛争を例にこの議論を深めている。

 

ルワンダ内線では当初ツチ族によるフツ族虐殺が起こりフツ族は国境を越え東コンゴへ逃げ込んだ。そこに介入してきたのがNGOであり、彼らは難民キャンプを設置しフツ族を保護した。

すると、そこで体力を回復したフツ族は夜中にルワンダに帰り(難民キャンプが国境から数キロしか離れていなかった)ツチ族の虐殺を開始したのである。

こうしてツチ族によるフツ族への復讐、虐殺が激化し未曽有の大惨事を引き起こすことになったのである。

 

難民になるのは基本的には戦争敗者であり、そのような彼らを支援することで復讐の機会を作ってしまっているのだ。

 

 

ちなみに、NGOという組織の問題点を述べたものとして以下の本も参考になるのでよろしければどうぞ。

#すべてのNGOを否定しているわけではありません。あくまで問題がある組織もあるというだけです。一般的には弱者救済をする正義の集団と思われているNGOをクリティカルな視点で見る良いきっかけになると思います。

 

同じような現象は国連パレスチナ難民救済事業機構(UNRWA)にも当てはまるという。

いわば、彼らがイスラエルから追い出されたアラブ人を支援することで失地回復の希望を与えてしまっているのだ。

 

では具体的にこのような戦争、紛争に国際社会はどう対処すれば良いのか。

筆者はいかなる組織も介入せず戦争が自然消滅するのを待つべきだとする。

介入を控えることによってこそ、戦争による疲弊がいずれ戦争を終わらせ平和をもたらすというプロセスが出来上がると語り、国際社会による介入はこの自然プロセスを妨害するものだと語る。

 

 

本書では他にも、現在の北朝鮮による脅威や中国との尖閣諸島問題への具体的な対処法、そして、戦争においては軍事戦略以上に外交、つまり同盟関係が重要になることとその歴史事象に基づいた具体例、さらには、日本の戦国武将の優れた軍事戦略についても語られている。

個人的には世界の少子化の原因についての考察は非常に興味深かったです。

戦略論の入門として非常におすすめ!


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人種の融和ってそんなに簡単じゃないなって話

 

突然ですがアメリカや欧米諸国と言われて思い浮かべることはなんでしょうか?

 

自由の国? 人種のるつぼ? 多様な人種が仲良く共存?

 

今でこそ民族、人種による格差、紛争がしばしばニュースなど取り上げられ現実を直視している人もいますが、いまだにこういった「幻想」を特にアメリカに対して抱いている人が多いのも事実です。

 

私自身、海外生活を何度か経験していくうちにこうした「幻想」を感じることがしばしばありました。

 

このような現象を気軽に見られる場所としては大学が挙げられます。

旅行の際に1度訪問してみることをおすすめします。


そこではアジア系アメリカ人、アフリカンアメリカン、さらにはアジア人、中東出身の人々など、いわゆる人種や出生ごとのグループに分かれ交流しているのがしばしば見て取れます。

 

では、なぜ彼らは他の「人種」と交流しないのでしょうか。

 

相手のことが嫌いだからでしょうか。

 

おそらく違うでしょう。

 

それは、ただ単純に似たような出生や文化を持つ人々と交流するほうが「居心地」がいいからなのです。

出生が違えば文化の相違が生まれるのは当然、そのような環境で生活することは想像力を働かせなければいけないのとともにストレスが無意識にかかっていくものです。

 

 

実際、海外経験のある友人から「アメリカ人と何を話せばいいのか分からない」や、「やっぱりアジア人といたほうが居心地は良い」というような話はよく聞きます。

 

留学やその他海外滞在中に一番仲良くなるのは結局、中国や韓国、台湾人などといったことは決して珍しくなく(もちろん言語力が比較的似通った留学生のほうが仲良くなりやすいという面もありますが)、アメリカ人と仲良くなる場合もせいぜい日本のアニメや漫画、文化に興味のある人々に限られているということも十分起き得ます。

#もちろん日本に興味のないアメリカ人と友達になれないとは言いませんよ。こちらが心を開けば受け入れてくれる人が多いのも事実です。

 

 

みんな仲良くと内心では思っていても実際にはなかなかうまくいかないのには、こうした似たもの同士で交流することの「居心地」の良さが関係しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

恐ろしいほど会計・簿記・決算書などの理解が深まる本まとめ

 

会計・簿記といえば苦手意識を持っている人も少なくありませんよね⁉

 

今回は皆さんが会計・簿記・決算書などの理解を深めるためにおすすめの本をいくつか紹介していきます!!

いずれの本も初学者でも問題なく読み進められる本となっています。

 

 

①はじめての人の簿記入門 「かんき出版」 (浜田勝義)

 

 

②スッキリわかる日商簿記3級